キャシャーンSins 第24話(最終回)『巡り咲く花へ』

 「死のない世界」の究極の形は「誰もいない世界」ではなかろうかと自問。生がなければ死もございませんからね。でもそれは本末転倒なわけで、生があるから死がある、生に意味があるから死にも意味がある・・・、簡単に答えが出るような問題ではございません。それこそ古今東西の哲学家や思想家、宗教家がそれぞれ独自の解釈を出し、未だ思考している問題でございますから。
 同じ金曜日に「ドルアーガ」とこの「キャシャーン」を見ていたから精神的バランスが取れていたと思いますと、この幸運に感謝しなければ(笑) 片や眩いばかりの青春を見ることができ、片や人生の終焉の生と死について見せられるわけですからね。
 こうした形而上のテーマは往々にして創作者の自慰行為になりがちですし、本作もそうした部分がなかったとは思いませんが、ギリギリ踏みとどまっていられたのは作画陣の頑張りによるところが大きかったと思います。表現は悪いですが「絵で釣る」という効果は絶大だと再認識したものでございます。
 最終回
 穏やかな死を選んだキャシャーンたち。オージとリューズが満足そうに死んで行きました。そしてそれを正しく悲しんでくれるリンゴがいてくれたことが重要で、そこに居た、存在したことを知って居てくれる人がいてこそ死の意味があろうというものです。
 「死を忘れるな」とキャシャーンはルナに告げます。死も生も同じもの、表裏一体であると。どちらかひとつしかない世界こそ歪な世界だと告げてキャシャーンはこの世界から消えて行きました。そしてそのどちらも持って成長したリンゴの笑顔でこの物語は終わりました。
 何度も描かれた「花」は繰り返す命の儚さと逞しさ、そして美しさの暗喩だったのですね。明確な答えが出るようなテーマでもございませんし、むしろこうして視聴者ひとりひとりに考える事を促すことが出来たとしたら、この作品は成功したのでは? と思います。
 タイトルの「Sins」は「罪・原罪」のことでしょうが、複数形になっている意味ですとか、そもそもキャシャーンの罪ってなに? ですとか考える材料はまだまだありそうです。放送終了したから「おしまい」ではなくここからその意味を考える、咀嚼してみるといった時間に対して耐久性がありそうな作品を観る事ができて半年間幸せでございました。