機動戦士ガンダムOO 2ndシーズン ♯16『悲劇への序章』

 「ハーキュリー」の行動自体は予想されたものでした。恐らくアロウズは目撃者もろとも反乱軍を抹殺して、全ての責任をハーキュリーに背負わすつもりでしょうが、反乱軍を率いる彼がそれ位のことも予想していないような無能者の描写には納得がいきませんでした。う〜ん。それと毎度書いておりますが、群像劇の捌き方がやはり今ひとつでしょうか。
 例えにしては失礼でしょうが、戦争映画に「史上最大の作戦」という作品がございます。この作品、連合国側と枢軸国側同時に描かれておりまして、さらに連合国といっても「アメリカ」「イギリス」「フランス」、さらにさらに「空挺師団」「陸軍歩兵」「空軍」「海軍」など実に多様な軍人を、様々な角度で描いておりまして、「戦争」映画としては評価はともかくとして、多数のスターが登場人物として出演しているのに物語としての面白さを棄損していないという意味では傑作でございます。一人一人の見せ場は短く、次々に舞台が移って行きますが(戦場全てが舞台だったとも言えますが)、時空列は整理されておりますから約3時間の上映時間中観客として混乱も飽きもこない仕掛けになっております。
 本作も構成上は似たような物(暴論ですね)だと思うのですが、最大の違いは「ソレスタル・ビーイング」が物語の中心に居なければならないという制約を受けている事かもしれません。ガンダムというプラモやDVDを売るためには美形キャラを前面に出して訴求力を高めるというやり方自体を責めるつもりはございません。しかし、であるならば物語の視点をそこ(刹那たち)に固定して進行させるという選択をしなかったのは上手いやり方とは思えません。
 キャラにしても今回「グラハム」を観ていて、彼のポジションは「サーシェス」が担った方が自然だったし、それこそ「コーラサワー」でも代用可、むしろ「ハーキュリー」のポジションに「グラハム」は居るべきだったのではと感じてしまいました。登場させてそのままな(それでいながら時々思わせぶりな登場をさせる)キャラが多すぎて混乱を助長させているとしか思えない。
 その結果本来本作の主人公だった「刹那」(ガンダムマイスターの誰でも構わないのですが)は埋没してしまい、物語は拡散してしまった、と。結末で帳尻を合わせられたり、綺麗にまとめられますと印象としては悪くならないと思うのですが、仮に本作がそのように終わらせることが出来るのであるなら、現状の散漫さはありえないことだと感じてしまいました。