アリソンとリリア『フィオナの森』

前回のエントリーでも書いたことなのですが、今回頭を空にして視聴していまして確信したことなど。
前回は「省略しても良いところは上手く省略しても宜しいのではないかと思います」と書きましたが、この他に「描かなければならないところは描く」ことが必要ではないかと追加しておきます。当エピソードですと、フィオナと村人たちの心の繋がりの描写が明らかに不十分だと感じてしまいました。幼いフィオナを受け入れて慈しみ育てて来ましたという描写があってこそ、村を出て行くフィオナを見送る村人たちに去来する万感の想いに視聴者も共感できたはずなのですが、そこを数枚の絵だけで済ませてしまうのはいかがなものでしょう。
全体として原作を消化することに汲々としている印象を受けてしまいます。詰め込みすぎとでも申しましょうか。話によるとこの後リリアとヴィルの子供のリリアのエピソードを描くらしい(番組タイトルからそれは分かっているのですが)のですが、半年を使ってこのアリソン編だけを描けば構成的にも余裕ができて、私の感じているそれらの懸念も解消していたような気がいたします。
昔の「世界名作劇場」ですとこの辺の物語(原作)の再構成の処理がとても上手でしたし、本作のスタッフでも出来ないとは思えないのですが時間がなかったのでしょうか?残念でございます。来週はフィオナと悪役の対決。