キャシャーンSins 第12話『生きた時間を色にして』

 この作品は年寄りが観るには結構辛い部分がございまして、今回のお話などは特にそうでした。「ロックスミス」という、絶望の果てに穏やかな死を望み、夢などは見ないと無理やり自分を納得させたキャラが登場しておりましたが、あれは現在の私の姿に見えてしまいます。
 少し(いや、大分か)前であれば私の姿は「マルゴー」だったかもしれませんが、今は違うことを理解しております。ただ若い事、若いが故に諦めない「生」に執着するマルゴーの姿が羨ましいですし、妬ましい。折角押さえつけた「夢」や「希望」を撒き散らす「若さ」が憎いという感情が、妙にリアルに感じてしまうこと自体が歳を取ったということかもしれません(笑) そうは言っても、もう一度「若い頃」をやるのは辞退いたしますが。
 表面的にはマルゴーは生きた証として「色」を塗りたかっただけで、もし体がまだ自由に動くのであれば別な「何か」をしたかったのだろう、と考えましたが「太陽に通ずる道」を観た瞬間、彼は「何か」をしたかったのでは無く、これを作りたかったのだと納得。「太陽」は「生」の象徴で、生きる事への希求なのでしょう。「死」を受け入れたわけではなく、最期の瞬間まで「生きる」ことを欲していたからの「色」という作品にこだわっていた、ということかもしれません。
 マルゴーに「色を塗って」と頼まれたキャシャーンが、塗る事をせず立ち去った意味はどこら辺にあるのかと考えてみました。この作品は意味の無いエピソードはありませんから、最期まで付き合えば必ず何かしらの答えが出ると思いますが、現状では答えが出ませんでした。キャシャーンには彼の体を塗る資格をまだ持っていないから? ・・・違いますね(笑)
 マルゴーの死体(?)を見て、リンゴが「綺麗…、一生懸命生きて、それで死んだのかなぁ」という言葉が重いです。目的を持って生きるというのは言うは易しで、この歳になって今更生きる意味は考えたくありません(笑) から。本作は一貫して「生きる意味」を我々に問うていますが、若者には伝わりにくい(時間がタップリある人間はあまりこんなことは考えないでしょうから)ものを主軸に選んだものだと感心いたします。
 それと同時に「なぜ深夜に放送するのか」(ネットで観ている私には関係ないのですが)という憤りも覚えました。早い時間に放送しても視聴率は望むべくも無いでしょうが、「アニオタ」以外の若い人にも観て頂きたい作品なんですけれどねぇ・・・。
 私も死んだ後「綺麗…」と誰かに言って貰えるように、生き方を考えなければなりませんね(笑)