アニメ映画劇場『アルスラーン戦記』『アルスラーン戦記2』

「1」の方が1991年に、「2」は翌年制作されたそうですが、記憶にありませんでした。だって住んでるところでは公開されませんでしたから。この頃からそういう作品が多くなってきたような気がします。劇場だけではなくTVなんかもね。地方在住者は辛い。

大都市部の人間は、観る・観ないを自分の判断で決めることができるのですが、地方在住者には始めからその選択肢は与えられていないわけです。結果「作品の同時性」というか共通認識がなくなってきたような気がします。今ネットで昔の作品の話をしても、同世代に人間とは会話が成立(好き・嫌いは関係なく)しますが、最近の作品については「なにそれ?」といったこともしばしば。観なかった作品は始めからなかった作品と同義のような気がします。アニメに対して共通認識がなくても実生活ではなにも困りはしませんが、「過去があって、現在があり、未来がある」と考えると、確実に「断絶」している人たちがいるわけで、ただでさえアニメーション産業の先行きに不安な要素が出ている昨今、こうした状況はよろしくないのでは?業界も目先の利益ばかりを考えるのではなく、「種」を蒔く努力をしなければないのでしょうか。

さて、劇場では観る事もできませんでしたが、この頃もレンタルビデオ店は存在していましたので「1」は借りてみた記憶があります。演出も作画も悪いところなぞないのですが、「退屈」という言葉しか出てこなかったことを思い出しました。原作を読んでいたのが敗因でしょうか。結果「2」はレンタルもせず、今回が初見でした。

そもそも今もって完結していない作品(当時は何巻目が出ていたのか調べてみたところ驚くべき事実が!1991年で8巻、1992年で9巻まで出ていた。ところがその後16年で3巻しか出版されていないって、どれだけ遅筆なんだ!)を映画化する意味はどこらへんにあったのか不明。ただ当時の田中芳樹さんの人気は凄かったから、そのファン層狙いだったのでしょうね。その意味ではこれは「あり」なんでしょうが、純粋に作品として見た場合あまりにも「ダイジェスト版」で、不満。どうせなら「銀英伝」並みに制作した方が良かったのではと思います。

これといった欠点がないのに「退屈」な作品に仕上がってしまった原因は、露骨な商業主義にあるような気がします。だって原作もこの辺りは面白いのだから、ただ丁寧に作ったってそれなりの作品になっただろうし、スタッフの力量がそれに応えるだけの力があるのはこの2本を見ればわかりますから。惜しい作品でした。