かみちゅ!第9話『君に決定』

祀によって無理矢理生徒会長選挙に立候補させられたゆりえのお話。
後になって考えますと、本当に小さな権力である生徒会長にどうしてみんな夢中だったのか思い出せません(笑)
本作の「主役」西村君はそれに御執心だったわけですが、光恵はそうではなく「誰かに任せるのではなく、皆で助け合おう。そのためには頼りないゆりえが相応しい」と生徒たちに説きました。
「今」このエピソードを観ますと色々と耳が痛かったり致しますね。そういえばああのケネディ大統領が就任演説で「国があなた方に何をしてくれるかではなく、あなた方が国になに何ができるのか」と語ったそうですが(うろ覚え)、まあケネディの演説の趣旨はチョットあれなのですが、誰かに頼り切るのではなくて出来る事は個人個人でやり、お互いで支えあうという姿勢が今求められている…、いや「かみちゅ!」の感想ではなくなっておりますね(笑)
という事でここからはいつもの通り手抜き更新
2009年5月28日エントリー再掲
ゆりえ様が生徒会長に立候補させられたお話。祀の悪辣さによって、ゆりえの「ちょろさ」が改めて浮き彫りになっておりました。
中学生のとき生徒会に立候補する人たちの気持ちというものが全く理解できなかった者といたしましては、とても身につまされるお話でございました。あんな小さな権力を欲しがったり、何故ああも義務感と申しましょうか使命感と書けば宜しいのでしょうか、そうした気持ちになれる人を理解できませんでした。
でも考えてみますとあれは学校という特殊環境の中での現実世界との接点。主張すべきは主張し、お互いの意見を交わすという貴重な経験ができる模擬試験だったのかもしれません。そこを斜に構えてやり過ごした人間は、ある意味で社会生活不適合者の予備軍だったのだなぁと、ほんの少し後悔していたりします(笑)
一方で「神に祈る」という意味を自問するゆりえの描写もございまして、なかなか奥深いテーマが潜んでいたりします。聖書では「神は自ら助くる者を助く」と申しますが、祀の
努力とお賽銭なしのお願いなんて叶うわけないのよ!
は極論といたしましても、まあ洋の東西を問わず努力もしないものが救われることはないわけでございます。そのゆりえの疑問に対しての答えとしてスタッフが用意したのが、誰かが何かをしてくれるのを待つのではなく、一緒に歩きましょうという(意訳)光恵の感動的な応援演説でございました。この気持ちを中坊のときに気がつきたいものでございました。
いつにもまして、今回は過ぎし日の至らなさに引き戻してくれたエピソードでした。
再掲終了
…昔の方が今よりも考えて更新していたようでございます。反省しないと(笑)